お知らせ

2020.3.10 研究

細胞の目覚めの解明につながる遺伝子を発見
―分裂酵母細胞が休眠から目覚める際の遺伝子の発現状態の変化について解明―

佐藤政充教授と露崎隼さん(佐藤研究室博士後期課程2年)らの研究グループと、竹山春子教授と細川正人次席研究員らの研究グループ、産総研・早大 生体システムビッグデータ解析オープンイノベーションラボラトリ(CBBD-OIL)との共同研究の成果が、英国科学誌「Nature Communications」(Nature Publishing Group)のオンライン版に掲載されました。

Nature Communications誌
プレスリリース
日本経済新聞電子版

研究背景

細胞は、周囲の環境が生育に適していないと、「休眠」という細胞活動を停止している状態に突入します。そして環境が変わると休眠から「目覚め」て、増殖を開始します。例えば、植物は種子として長期休眠していますが、環境の変化に応じて発芽し、植物体を作り出します。また、動物では本来ならば休眠状態であるべき細胞が目覚めて増殖を開始すると、がん細胞として害をもたらします。このように細胞が目覚めることは、生物に共通した細胞の「運命決定」であり、そのメカニズムを解明することは植物環境に関するグリーンイノベーション・制がん創薬研究の観点からも重視されます。しかし、どのような分子が細胞の目覚めを引き起こすのか、そのメカニズムはほとんどわかっていません。
この分子メカニズムを解明するために最も効果的なアプローチは、目覚めの過程でどのような遺伝子が発現するのかを網羅的に解析する方法だと考えます。これは既存の実験手法では、多数の細胞を集めてRNAを単離することが必要です。しかし、この研究の格好のモデル生物である分裂酵母(休眠状態を「胞子」という)は、目覚めのタイミングに個体差が大きく、目覚め始めの胞子のみを大量に集めることは不可能でした。従って、目覚め始めた細胞内でどのような遺伝子が発現しているのかを調べることは、従来の実験手法では技術的に不可能でした。

研究結果1

そこで本研究では、多くの細胞を集めなくても胞子1細胞さえあればRNAを効率的に単離でき、その配列を解読する胞子シングルセルRNA-seq解析の手法を開発しました。
次に、この技術をもとに、目覚め始めた細胞1個1個からRNAを取り出して、分裂酵母がもつ全7,000遺伝子の発現状態を解析しました。これを繰り返し、合計64個の「目覚めつつある」胞子における7,000遺伝子の発現状態をビッグデータとして獲得しました。
そして、バイオインフォマティクス技術を駆使して、64個の細胞の遺伝子発現状態を比較解析することで、目覚め始めの初期段階にある細胞を特定し、その中で最も劇的に発現が変動しがちな遺伝子として、ヒストンH3遺伝子の一つ(ヒストンH3 #1)を発見しました。

研究結果2

ヒストンは8量体としてDNAに巻き付き、遺伝子の発現状態をコントロールすることが広く知られる因子であり、ヒストンH3はその中の1因子です。分裂酵母にはヒストンH3を作るための遺伝子が3種類存在しており、なぜ同じものが3つも存在するのか、それぞれの遺伝子に異なった役割があるかどうかなど、全てが謎に包まれていました。
本研究では、目覚めの初期段階で、ヒストンH3 #1遺伝子の発現が劇的に低下することを見出しましたが、他の2つのヒストンH3遺伝子(#2と#3)には大きな変動は見られませんでした。そして、ヒストンH3 #1遺伝子を破壊した変異体は、通常の細胞増殖には異常を示しませんでしたが、細胞の目覚めが著しく遅れることがわかりました。
この遺伝子は細胞増殖時には特別な役割を果たしませんが、胞子から目覚めるときにこそ欠かせない役割を果たす特殊なヒストンH3だと推測されます。細胞は目覚めて活動を始めるにあたり、ゲノム全体で莫大な数の遺伝子を活発化させる必要があります。細胞は、それを実現するための秘策として目覚める際にヒストンH3 #1の量を意図的に減少させ、その結果ゲノムのヒストン結合状態を著しく変化させることで、その後のゲノム規模での遺伝子発現を誘導すると考えられます。

社会へのインパクト

今回のシングルセル発現解析の結果から、休眠からの目覚めに重要とみられる遺伝子を網羅的に見つけ出すことに成功しました。今回はヒストンH3遺伝子について解析しましたが、他にも重要な因子が選び出されている可能性が高く、細胞の目覚め研究における「宝の山」となる可能性があります。
休眠と目覚めに関する謎は尽きません。細胞は休眠しているにも関わらず、周囲の環境に栄養が供給されたことを認識できるのは何故か、それがどのようにヒストンH3遺伝子の発現を変動させるのか、そもそも栄養がなくても死なずに生存を維持できる「休眠状態」とは細胞にとってどのような状態なのかなどが挙げられます。植物の種子では、1000年前につくられた種子でさえも発芽できることが示されています。周囲に栄養がなくても休眠することで長期にわたり生存を維持できる「省エネルギー」と「長寿」の秘訣が隣り合わせで胞子に隠されていると考えます。このことは、動物においては「がん化」という不都合な目覚めのメカニズム解明と予防策の究明に繋がると考えられます。

今後の展望

ヒストンH3遺伝子の制御による染色体のゲノム規模での変化は、受精卵からの発生、植物種子の発芽、がん細胞の増殖再開のメカニズムと類似していると考えられます。ヒストンを人為的に制御すれば、あらゆる生物で細胞の休眠打破を人工的にコントロールすることができると考えます。このように、今後様々な細胞が休眠から増殖を始めるメカニズムの解明を目指して、植物環境におけるグリーンイノベーションの基盤としたり、新たな制がん標的遺伝子の特定や、がん細胞の増殖を抑える創薬につなげたりと、産学連携ベースで研究を進め、SDGsの実現に向けての発展が期待されます。