平井隼人(佐藤研究室) 正垣佑樹(佐藤研究室)
Communications Biology誌
プレスリリース
発表のポイント
早稲田大学 理工学術院(先進理工学部 生命医科学科)佐藤政充(さとう まさみつ)教授らの研究グループは、細胞分裂を繰り返しても染色体が失われないために必須の構造とされる動原体が、世代を超えてもどのように染色体上に維持されていくのかという疑問に対して、分裂酵母Mis6タンパク質(ヒトCENP-I)が必須の役割を果たすことを解明しました。
本研究成果は、染色体分配が世代を超えてもエラーなく起きるためにMis6が本質的な働きを担うことを示すものであり、染色体分配異常に基づく細胞のがん化や細胞死、配偶子の異常による不妊・流産などの原因解明につながるものとみています。
本研究成果は、Nature Researchが提供するオープンアクセス・ジャーナル『Communications Biology』にて、2022年8月15日(月)にオンラインで掲載されました。
(1)これまでの研究で分かっていたこと(科学史的・歴史的な背景など)
私たちの体は約37兆個の細胞で作られていますが、もとをただせば誰しも1個の細胞(受精卵)であり、これが何度も分裂を繰り返して37兆個の細胞からなる個体の形成に至りました。細胞分裂では、DNAすなわち染色体を複製してから2個の細胞に均等に分配することで、遺伝情報が常に正確に伝承されていきます。
図1に示すように、染色体が分配されるためには、まず染色体のセントロメア領域に動原体という巨大なタンパク質複合体が作られる必要があります。次に、紡錘体(微小管)が動原体を捕まえて、割り箸を割るような要領で1:1に正確に分配することで、染色体は均等に2個の細胞に分配されます。したがって、染色体上に動原体が正しく形成されることが重要です。
動原体は、染色体DNAのセントロメア領域に形成されます(図1)。セントロメア領域のDNAにはCENP-Aという、この領域に特有のヒストンタンパク質が巻き付くことで特別なクロマチン構造を作ります。細胞が幾度となく分裂して世代を超えても、なぜCENP-Aが常にセントロメア領域に維持されているのかは大きな謎とされていました。というのも、セントロメア領域のDNA配列にはCENP-Aが結合するための特別な目印配列があるわけではないので、この領域にCENP-Aが結合するのは、DNA配列に依存しないエピジェネティックな制御によるものと考えられています。
図1 染色体の均等分配には動原体が重要であり、動原体の土台はヒストンCENP-Aである
(2)今回の研究で新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと
本研究では、動原体の構成因子であるMis6に注目しました。分裂酵母Mis6タンパク質(ヒトCENP-I)は動原体の構成因子として以前から知られていたものです。本研究では、Mis6にはCENP-Aがセントロメア領域から脱落しないように「維持」する働きがあることを発見しました。すなわち、Mis6の変異体細胞では、CENP-Aタンパク質が時間経過とともにセントロメア領域から脱落してしまうことを見いだしました。
なぜMis6が機能しない細胞でCENP-Aが脱落するのかを調べたところ、セントロメア領域内にRNAポリメラーゼIIが大量に侵入して非コードRNAを転写していることが原因だと分かりました(図2)。つまり、RNAポリメラーゼIIがセントロメア領域に侵入すると、非コードRNAを転写する際に、その領域のDNAに結合していたヒストンCENP-AがDNAからほどかれて脱離してしまうことが分かりました。このような転写が起きると、CENP-Aがセントロメア領域に維持されなくなり、細胞分裂を繰り返すなかで動原体が正しく維持されなくなるので、最終的に染色体の分配異常を引き起こすといえます。
このようなセントロメア領域内の異常な転写が起きないように、正常細胞(野生型細胞)ではMis6タンパク質がRNAポリメラーゼIIのセントロメア領域への侵入を防いでいるといえます。このように、ひとたびセントロメア領域が動原体の形成場所として選ばれた後は、世代を超えてその領域がエピジェネティックに維持され続けるということが解明できました。
図2 Mis6タンパク質はRNAポリメラーゼIIによるセントロメア領域の転写を防ぐことで、ヒストンCENP-Aを常に維持する
(3)研究の波及効果や社会的影響
今回の研究成果は、細胞生物学の基本でありながら大きな謎とされてきた、動原体維持のエピジェネティクスにひとつの解を与えるものです。染色体が正しく分配されるためには、Mis6が適切に機能することが重要だといえます。また、特定のがん細胞では、Mis6タンパク質に相当するヒトCENP-Iタンパク質が過剰に発現していることが分かっています。このことは、これらのがん細胞においては、セントロメアの形成・維持機構が過剰に働いていることで、染色体の安定した分配を阻害している可能性があると考えられるため、今後はがん治療の標的としてMis6・CENP-Iが有効となるかを検証して医学・薬学的な応用につなげていきたいと考えます。
(4)今後の課題
Mis6は、どのようにしてRNAポリメラーゼIIのセントロメア領域への侵入を防ぐのでしょうか。たとえば、Mis6がセントロメア領域の「門番」として機能して、RNAポリメラーゼIIが侵入しようとするのを物理的に阻止するのかもしれません。私たちは、このようなMis6の作用機序を遺伝学・細胞生物学・構造生物学の観点から追究したいと考えています。