お知らせ

2023.4.12 研究

ガス成分を可視化し得る酵素糸メッシュの開発

中谷 美沙(武田研究室 卒業生)
友野 つぼみ(武田研究室 修士2年)
飯谷 健太(武田研究室 招聘研究員、東京医科歯科大学生体材料工学研究所 助教)
土戸 優志(武田研究室 講師)
武田 直也(武田研究室 教授)

Biosensors and Bioelectronics誌
プレスリリース

発表のポイント

早稲田大学理工学術院の武田直也教授、東京医科歯科大学生体材料工学研究所の三林浩二教授らの共同研究グループは、非侵襲に疾患診断や代謝評価を行うための「生体ガス計測用の新規バイオセンサ用酵素メッシュ」を開発しました。酵素や補酵素を含んだ水溶性高分子溶液をエレクトロスピニング法により繊維化することで、通常は溶液中で活性を示す酵素を、乾燥した「エレクトロスピニング酵素糸」中で用いることが可能となり、生体ガス計測用バイオセンサの実用化の促進が期待できます。

(1)これまでの研究で分かっていたこと(科学史的・歴史的な背景など)

呼気や皮膚を介して放出される生体ガス中には、血中に存在する揮発性有機化合物(VOCs)※1が含まれており、疾患や代謝の状態に応じて、経時的にその濃度が変動したり、特異的なガス成分が放出されたりすることが知られています。その生体ガス中のVOCsを測定することで、血液を採取せずに体内の生化学的な状態変化をモニタリングできることから、次世代の疾病及び健康状態モニタリング方法として、期待が寄せられています。
一方で、生体ガスは数百種類のVOCsにて構成され、対象となるガス成分を検出するには高い選択性が必要です。そのため、生体ガスの測定には、一般的にガスクロマトグラフィー質量分析装置などの大型の分析装置が用いられます。そこで本研究グループでは、これまで酵素の基質特異性に着目し、生体ガスを気相サンプルとして計測する生化学式ガスセンサの開発を進めてきました。しかしながら、酵素を用いるバイオセンサの一般化に対する共通の課題として、「分子認識機能を担う酵素固定化膜の作製には時間と労力を要すること」、「酵素が機能するような温和な溶液中で用いること」などがあり、バイオセンサの製品化の障壁となっていました。

(2)今回の研究で新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと

上述の課題を解決するため、高分子を繊維状に加工するエレクトロスピニング法※2にて、基質特異性を有する酵素および補酵素を含む水溶性高分子を材料として「エレクトロスピニング酵素糸」を紡ぎ、「作ったその場で、すぐに使える酵素糸メッシュ」を開発しました(図1A)。エレクトロスピニング法では、材料とする高分子溶液に印加した高電圧に起因する電気的な反発力によって高分子溶液を糸状に高速で引き出し、その際に液体が瞬間的に揮発することで微細な繊維を作製する技術です。このような「エレクトロスピニング酵素糸」は見かけ上は乾燥状態ですが、水溶性高分子を用いることで、気相中でのガス検出にそのまま利用できます。この現象について研究グループでは「水溶性高分子が有する極性官能基」と「エレクトロスピニング過程での瞬間的な繊維形成」の二つの要素によって、高分子でできた繊維の中でも、酵素の立体構造および触媒活性を維持することが可能であるためと考えています。研究グループではこの新規な「エレクトロスピニング酵素糸」を積層し、広い比表面積を有する「酵素糸メッシュ」を用いることで、エタノールガスを選択的かつ視覚的に検出するガスイメージングに成功しました。バイオセンサでありながら溶液の添加などの前処理を必要とすること無く、直接利用することも可能です。
酵素糸メッシュがエタノールガスを検出する仕組みでは、補酵素ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド(NAD)依存型アルコール脱水素酵素(ADH)の触媒反応を用いたバイオ蛍光法※3を用いています。カメラの前方に酸化型NAD (NAD+)およびADHを含む酵素糸メッシュを設置し、エタノールガスを負荷すると酵素反応により還元型NAD (NADH)が生じます。このNADHは波長340 nmの紫外光照射により波長490 nmの蛍光を生じ、蛍光の強度が負荷されたエタノールガス濃度と相関することからADH酵素糸メッシュ上の蛍光強度分布をカメラで撮像することで、エタノールガス濃度分布の動画像化が可能となります(図1B, C)。

図1 (A)エレクトロスピニング酵素糸の作成方法(B)エタノールガスをイメージングするための実験系(C)エタノールガスを負荷した際の蛍光画像より算出したガス分布の時空間変化

(3)研究の波及効果や社会的影響

一工程で作製できる「エレクトロスピニング酵素糸」の生産ラインへの組み込みは容易であり、利用する際にも面倒な前工程が不要なため、生化学式ガスセンサの社会実装に資する技術と考えられます。今回、ガスイメージングを行ったエタノールガスは、アルコール代謝のモニタリングに有用です。また、酵素の種類を選択し変更することで、他のガス成分のイメージングにも応用が可能です。

(4)今後の課題

本研究グループではこれまでにも、脂質代謝に応じて生体ガス中の濃度変化が生じるアセトンガスをはじめ、イソプロパノールガス、ホルムアルデヒドガス、メタノールガス、アセトアルデヒドガスなど様々なVOCsの選択的な計測を進めており、今後はこれらガス検出のための「酵素糸メッシュ」の開発や、非侵襲な代謝評価デバイスへの開発応用が期待されます。また、高分子基質中でタンパク質の活性を維持しながら、気相中でも使用可能な複合材料を作製する方法を提供する点でも意義が高く、様々なタンパク質と水溶性高分子からなる複合材料の構築への展開が期待されます。

※1 揮発性有機化合物(VOCs)・・・・・・・・常温常圧で容易に揮発する有機化合物の総称。
※2 エレクトロスピニング法・・・・・・・・高分子溶液と繊維回収用コレクター電極間に数十kV程度の高電圧を印加し、溶液の表面張力よりも帯電した高分子溶液の反発力が大きくなることで引き出され、直径がナノメートルからマイクロメートルの繊維を得る手法。
※3 バイオ蛍光法・・・・・・・・酵素反応の結果として増減する分子を蛍光検出することで目的となる基質分子の定量を行う分子計測手法。